陰キャラ王子の成長記

母親がADHD

母親から電話があり、検査をしたらADHDだったとのことでした。

 

薬を薦められたが、怖いのでやめたとのこと。

 

母親から「あんたもそういうところあるから、検査した方がいいで」と言われました。

 

急にそんな電話があったので、悲しさと怒りが湧いてきそうになりましたが、わたしも少しは自覚していました。

 

 

子どもの頃のこだわり

 

子どもの頃は、よくこだわりを持っていました。

 

・でこぼこの道は歩けないというルール

小学校に登校するときは、平らな道か白い線しか歩けないというルールがありました。

でこぼこの道は歩いてはいけない。

登校中にでこぼこのアスファルトがあり、学校に行けなくなってしまいました。

偶然、知り合いのお母さんが通りかかり、自転車に乗せてもらい、何とか学校に行くことができました。

 

・うがいの回数

うがいの回数にも決まりがありました。

うがいを3回したら、いじめてくる人が3組だからダメ。

うがいを4回したら、4は死だからダメ。

うがいを5回したら、好きな人が5組でバレるからダメ。

長い回数うがいをしていました。

 

・同じことをして元に戻す

机の右側を通って進んだら、戻るときも同じ通った方で戻ります。

反対側を通って戻るのが気持ち悪いのです。

ランドセルを右から背負ったら、右側から下ろします。

一回転させることが気持ち悪いのです。

 

・チクチクする服が着れない

服にもこだわりがありました。

チクチクする服は、気持ち悪いので着ることができませんでした。

サッカーのソックスも嫌いで、友達みんながサッカーチームに入っていたのに、自分はソックスが嫌いという理由で入ることはありませんでした。

 

 

ADHDが何だ!

 

子どもの頃に比べれば、大人になってからはこだわりは無くなりました。

人より能力は高いとは思いませんが、それほど劣っているとも思いません。

人生に生きづらさは感じますが、他の人も抱えているものだと思います。

 

母親から検査を薦められ、2つの病院に電話をしましたが、何ヶ月か待たないといけないのと、仕事の予定と合わなかったので、検査に行くことは中断しています。

 

もし検査に行って、ADHDと判断されても何だかなぁと思ってしまいます。

 

わたしはADHDと判断されて、だから生きづらかったのかと安心したい訳ではありません。

ADHDだったとしても関係なくて、どういう風に行動するかを考えるアドラー心理学が好きです。

 

わたしはどのような特性を持っていたとしても、自分が生きやすい環境を見つけて生きていきますよ!

 

 

母親がADHD

 

母親はパソコンである部分的なことができず、何度も怒られたと話していました。

そしておかしいと思い、病院に行ってADHDと判断されたとのこと。

 

わたしは今、生き方を模索していますが、50代の母親が仕事で怒られていることを想像すると、そんなつまらなそうな仕事は辞めてしまえよと思ってしまいます。

 

もちろん、わたしが子どもの頃は、父親と母親が共働きで育ててくれたので感謝しています。

 

両親がつまらない仕事をしているなら、それを辞めさせてあげるぐらいのお金を稼ぎたいものですね‥‥。